Disabil-omicsの説明

*** 基礎研究では精神疾患に おける個体特性を模倣したモデルマウスを、主に症候学的特徴を基軸に評価するアプローチがとられてきた。近年ゲノム研究や脳画像研究から生物学的にも精神疾患は異質性が高いことが明らかになってきてい ることから、この異質性を画一的な症候群に落とし込むのではなく、多様なディスアビリティの実態に踏 み込んだ理解が必要になると考えられる。このことは精神疾患に関連が示唆されている遺伝子や回路の変 化の数十以上の数の多様性に対して行動評価の数が低すぎるため、どんな遺伝子や回路異常も「社会的相互作用の低下」という単純な次元に落とし込まれ、情報が損失してしまうという問題とも対応する。新しくディスアビリティを解析する手法を機械学習や当事者知を活用し、ヒト・マウスでのトランスレーションを前提にした研究開発が必要である。
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ICT技術を駆使して様々な身体・知的・精神障害やそれらの重複した当事者におけるディスアビリティの実態を調査するために、近年急速に発展しているオンライン診療技術を応用し、生活状況(作業、対人相互作用、対話)における動画や音声を含めたディスアビリティ・データを取得する体制を作る。これをデータベース化し、医学的および社会生活的視点の両方から専門家と当事者が共同で分析・コード化(アノテーション)することでディスアビリティの実態全体(disabil-ome)をデータ化・分析することをディスアビロミクス(disabil-omics)と呼ぶ。
*** ディスアビロミクスは、人間を対象とした臨床研究のみならず、精神疾患のマウスモデル研究でも定義できる。精神疾患の基礎研究は他の身体疾患と同様にアンマッチの原因を個体のインペアメントに還元するパラダイムを前提に研究が推進されてきた。例えば、マウスの他個体に 対する接近行動である社会的相互作用の低下を自閉スペクトラム症やうつ病の行動指標としたり、強制水 泳試験の低下をうつ病の行動指標としたりされてきた。この指標を疾患モデルの評価や薬剤の探索などに用いられてきた。しかし、この単純な症候学的指標を頼りにした動物モデル研究だけでは最近明らかになってきた精神疾患の異質性や多様な遺伝子・回路の関与をうまく扱えず、精神疾患の本質に迫れない可能性が高いある。ディスアビリティの実態解明には膨大な情報を処理しなければ難しかったが、近年、機械学習手法や GPU 等の技術進歩により、大量情報を扱うことが可能になってきた。特に ディープラーニングなどの機械学習により身体の動きを画像から計測することが簡便になり、その後の大量情報を次元削減方法を駆使することで分析する手法が開発されてきている。 マウスの認知関連の行動タスク遂行中の大量動画データ を新しい手法で分析することで、多次元で行動の特徴を捉え、薬理・遺伝的操作により認知関連行動がど のように変化するのかを詳細に明らかにできる。
*** インペアメント・モデルからディスアビリティ・モデルへの視点を変え、ディスアビリティが生じる個体と環境要因を分離することで、ある個体特性があってもどういう環境条件であれば個体の特性を活かせるのかというアビリティ研究への発展が考えられる。例えばこれまである個体特性を持つマウスにおいて何ができない行動課題・環境条件なのか、を探すのが一般的な命題だったのに対し、遺伝的操作によって個体機能特性に変化があってもどのような行動課題・環境条件であればタスクを遂行できるかという新たな問いが生まれる。人間を対象にした研究においてもディスアビロミクスによりディスアビリティを生み出す環境要因の候補が考えられたら、それをどのように変革することがディスアビリティの軽減につながるのかという研究が生み出される。これにより、薬物により治療するというこれまでの治療モデルから、生活を支える様々な人工物を変革していくという新しいディスアビリティ改善の道が生まれる可能性がある。このようにディスアビリティに着目した新しい行動と環境解析により、新たなトランスレーション研究や神経科学研究フィールドの創出が期待される。